食事を楽しめなくなったら、体が壊れる一歩手前
僕は今京都に来ている。昔から腐れ縁の友達と、ご飯を食べにきたのだ。
入ったレストランのオーナーは、15年フレンチの現場で修行した方であり、昨年独立したらしい。
料理はどれも素晴らしかった。味だけでなくが美味しいだけでなく、見た目も素敵な料理を久々に食べた。
お値段は、ドリンクも含めて4700円。中々良いお値段だが、とても良い時間だった。
だが同時に、最近きちんと味わってご飯を食べてないことに気付いた。
もちろん高価な食事が全てではない。日頃の料理も美味しい。だが僕は今日のように、味わって日々の食事を食べていただろうか。
そう考えると、昨日食べた御飯の味が思い出せない。どこか忙しく、流し込むように食べていたように感じる。
そんな日々を送っていた僕は、昨日背中に痺れを発症した。嫌な感覚で、作業中も僕の集中力を奪ってくる。忙しさの余り、休息を疎かにした代償だ。
つまり、食べ物を美味しいと感じれていないときは、余裕がないのだ。体をどんどん酷使して、疲弊している時だ。
だから、これからは食事の「味」を味わって食べるだけの余裕があるか、日々自分に問いかけようと思う。体は何よりも資本だから。
それにしても、美味しかったなあ。